石川さんの河川環境コラム10
石狩川の羊羹 ボランティア 石川 清
写真1
 小学生の頃、日本で一番長い川、日本で一番流域面積の広い川というものを覚えさせられませんでしたか。あの頃、新しい日本地図帳を見るたびに、石狩川(いしかりがわ)の長さが変わっていたような気がします。
 実際のところ、河川改修により石狩川の長さはどんどん短くなっています。ショートカット、つまり河川の蛇行部を短絡させ、洪水を短時間で海まで流してしまおうという工事のことです。しかし、この方法では洪水時の最大流量の継続時間は短くなるものの、流量そのものは大きくなり、大きな堤防が必要になります。また、河川の流れが直線化されることにより、川の構造が単調になり淀みや深みが無くなり、河川の流速が速くなることで、魚にとっては住みづらい川になるようです。
 最近では逆に河川を蛇行させようという動きがあり、さけ科学館の前職員の小宮山さん達が、道東(どうとう、北海道東部)の標津川(しべつがわ)で河川の蛇行復元の実験をしています。
さて、石狩川のショートカット工事は明治時代から始まっていますが、この工事は欧米追随の近代化政策の中で出てきたものと僕は思っています。当時の技術者の中で、このショートカット工法に対して、蛇行を残したまま河川の流れを制御しようとした人がいました。
 開拓使の技術者であった岡崎文吉(おかざきぶんきち)博士、NHKでも特集が組まれていましたが、当時は欧米追随の効率至上主義の明治政府により、その考え方が受け入れられなかったものの、現在に至って、その考え方の正しさが取り上げられています。
この岡崎博士の考案したのが岡崎式護岸ブロックで、これを用いた護岸が文吉堤であり、現在でもその名残が残っています。いや、名残というか、現在でもそのまま治水の要として石狩川流域に残っています。
 写真1は石狩川本流の江別(えべつ)付近に残っている文吉堤です。写真2は石狩川下流の支流茨戸川(ばらとがわ)に残るものです。ブロック状のものがそれです。
写真1に示した江別付近では、写真3に示すようにブロックの上に表土が覆い被さっており、写真4でもわかるようにその上には大木が茂っています。ここまでの年月をこのブロックは川から堤防を守り続けてきたのです。
 このブロックは長さが約60cm、断面の幅が約10cmとなっており、誰が名付けたか、羊羹ブロックと言われています。理由はその形が羊羹に似ていたからと言われています。
 ブロックとブロックは写真5に示すように鉄線で繋がれていますが、この鉄は含銅線と言って鉄の中に銅が混じっています。このため、現在に至るまで腐蝕に耐えてきたと言われています。
 現在の護岸工事では植生護岸といって、コンクリートだけの構造ではなく将来的には植物が生い茂ることのできる多自然型護岸が流行っています。
 ブロックの上に木が生い茂ることのできた文吉堤、蛇行を残したまま治水を計画した岡崎文吉、明治時代の西欧かぶれの連中には理解できなかったその思想が、21世紀になって見直されようとしています。
写真2
写真3:
写真4
写真5
(2002/10/06)
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